英エリザベス女王崩御から振り返る、イギリスの成り立ち

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2022年9月、イギリスで70年にわたり君主を問詰めていたエリザベス女王が98歳で崩御されました。
これによってイギリスには注目が集まりますが、イギリスがどのようにして成り立った国なのか、どのような歴史を歩んできたのかは知らない人もいるでしょう。
イギリスの成り立ちと、これまでの歴史を振り返ってみましょう。

イギリスの成り立ち

イギリスは、正式にはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国といいます。
そのため、イギリスの歴史はイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドによって構成される連合王国の歴史となります。

グレートブリテン島は、紀元前9~5世紀にかけてケルト系民族が侵入してきたことから鉄器時代が始まりました。
その頃から、各地でケルト系の部族国家が成立しています。

紀元前55年にローマのユリウス・カエサルが侵入して、西暦43年にはローマ皇帝クラウディウスによって大部分が征服され、ブリタニアとなっています。
その時は、ケルト系住民はローマ人に支配される立場になっていました。
また、北部のスコットランドやアイルランド島は支配から逃れています。

ローマの支配は、ゲルマン人が侵入してきた5世紀まで続き、ゲルマン人の侵入で混乱したことでローマ人はブリタニアを放棄しました。
その後、ゲルマン人によって南東部が征服され、その地域は小国家群が成立し後世になってからはアングロサクソン七王国と呼ばれました。

そこから、次第にイングランド地方が形成されていきました。
一方、ウェールズやスコットランド、アイルランドには侵入しなかったため、ケルト系の住民が中心となりました。

その後、9世紀頃に小国家群はウェセックス王国のアルフレッド大王によって統一され、その後のエセルスタン王俄然サクソン人の王と称し、939年から975年にかけて在位していたエドマンド王とエドガー王によって州、郡制が規定され、イングランド統一国家としての行政組織が確立しました。

1013年にはデンマークによって北海帝国の領域に組み込まれ、支配されました。
1042年に解放されたものの、今度は1066年にフランスのノルマンディー公に征服されました。
その後、ノルマン朝の初代イングランド王ウィリアム1世として即位しています。

1337年から1453年にかけて、フランス王国の王位継承とイングランド王家がフランスに所有していた広大な領土について争いが起こり、フランス人王朝同士が争うこととなって領主も二派に分かれて争いました。
この戦争は、百年戦争と呼ばれています。

この戦争の過程で、イングランドは大陸の領土を失って基本的にブリテン島内で完結する王国として再編成され、対フランスという視点からイングランドというまとまりでの自意識を持つようになり、のちにイングランドの国民的アイデンティティーを成立させる一因になりました。

これまでの歴史

15世紀に起こった宗教改革運動は、イギリスに大きな影響を及ぼしました。
イギリスはこれまで地域ごとに文化や歴史、民族などの差異があったのですが、そこに就航的な差異も加わって地域ごとの特色を形成していくことになったのです。

イングランドにおける宗教改革が始まったきっかけは、ヘンリー8世の離婚問題でした。
それによってイングランド国教会が設立され、イングランドの王権強化につながったのです。

その後、イングランドとスコットランドは婚姻関係を結んで同君連合へと発展し、国教会をスコットランドへと持ち込もうとしたことで主教戦争が起こります。
そして、その財源を巡って国王と議会も軍事的に対立しました。
これが、清教徒革命の始まりです。

この対立は、鉄騎兵によってチャールズ1世が捕らえられて1649年に処刑されることで決着しましたが、王位継承者のチャールズ2世はフランスに亡命し、ルイ14世の好意を受けてカトリックの影響を受けたことで、アイルランドとの接点が生まれました。

それによって、チャールズは王政復古の運動を行い、イングランド共和国を率いるクロムウェルはスコットランドやアイルランドに出兵してカトリックに大弾圧を加え、王党派を弾圧しました。

その後、イングランドは後継者問題で紛糾し、王のジェームズ2世はイングランドから追い出されることになりました。
これは、名誉革命やジャコバイト反乱と呼ばれています。

そして、スコットランドは1707年の合同法によってイングランドと一体化し、アイルランドは植民地化が徹底されることになりました。
そして、グレートブリテン王国が成立したのです。

その時、イングランド王国のアン女王が最初の君主となり、その後はドイツからハノーファー選帝侯ゲオルグ・ルードヴィフィが王位継承者として招かれて後にジョージ1世となりました。

また、17世紀初頭にはオランダ共和国と一緒に大航海時代に乗り出しました。
東インド会社がアジアに進出してインドの拠点を確保し、北米大陸にも植民者を多数送り出しています。

また、植民地での戦争にも積極的で、アン女王戦争やジョージ王戦争、フレンチ・インディアン戦争などがありました。
1858年には、イギリス領インド帝国を設置しています。

1775年にはレキシントンでイギリス軍と植民地軍との武力衝突が起こっていて、アメリカ独立戦争に発展しました。
そして、1776年には独立宣言を発し、アメリカ合衆国が成立しました。

それからも、英露戦争や米英戦争など多くの戦争が起こっています。
そして、世界に先駆けて蒸気機関を開発し、工業製機械工業の発達が促されて産業革命が進展しました。

それに伴って奴隷制度廃止運動も盛んになって、奴隷貿易法が成立して奴隷の貿易はイギリス帝国全体で違法となりました。
19世紀末から20世紀初頭にかけてアイルランドの独立が認められ、アイルランド自由国となりました。

第二次世界大戦後はインドやパキスタン、スリランカなど植民地が相次いで独立し、帝国は崩壊しています。
そして、残された最大の植民地である香港は、1984年の会議で1997年に中国へと変換されることが決定しました。

1959年に欧州自由貿易連合を結成し、1967年にECが誕生した際はイギリスが加わるかどうかの激しい議論が交わされました。
その結果、1973年に欧州自由貿易連合を脱して、1975年にECへと加盟しています。

そして、2020年に欧州連合(EU)を脱退することが決まり、それに合わせてEUとの自由貿易協定の締結を目指しました。
その後、エリザベス2世女王の崩御に伴い、チャールズ3世が即位しました。

まとめ

イギリスの歴史を見ると、島国であるにもかかわらず侵略や戦争などが盛んに行われていたことがわかります。
また、多数の植民地も抱えていてヨーロッパでもかなり重要な位置を占めていました。
それでも、第二次世界大戦後は植民地を相次いで開放していて、平和な時代が訪れています。
エリザベス女王が70年の長きにわたって王座に君臨したのも、平和になったことを示していると言えるでしょう。