日比谷野音の歴史

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2023年に100周年を迎えた日比谷野外音楽堂、通称日比谷野音は、東京都千代田区にある都立の野外音楽堂です。
現在は小音楽堂と呼ばれる音楽堂は1905年に完成し、1923年に大音楽堂が完成したのです。
2025年10月から建て替え、再整備のため休止となる日比谷野音の歴史について、解説します。

日比谷野外音楽堂の歴史

東京都千代田区の日比谷公園内にある日比谷野外音楽堂は、都立の野外音楽堂で大小2つの音楽堂が並んでいるのです。
名称は東京都立公園条例施行規則で定められており、大きい音楽堂は日比谷公園大音楽堂、小さい音楽堂は日比谷公園小音楽堂といいます。

1905年にまず日本初の野外公会堂として小音楽堂が完成し、1923年に大音楽堂が完成したことで完成したのです。
大音楽堂は日本で初めての大規模野外音楽堂として完成したもので、客席数は椅子2,653席、立見385席、車椅子対応15席となっています。

野外でライブができ、3500人以上の観客が入るような会場は東京23区内にはなかったため、様々なアーティストがコンサートを開いたのです。

また、毎年5月1日のメーデーや市民団体の集会などの会場としても用いられることがあります。

完成後は、太平洋戦争中の1943年から一時休館となり、戦後はGHQに接収されたものの1954年には接収が解除されて改築し、2代目大音楽堂となったのです。
1982年には老朽化のため全面改築工事を行い、1983年に3代目大音楽堂となったのが現在まで続いています。

日比谷公園内外に音響による影響があるため、音楽系イベントの会場として利用されるのは土曜日、日曜日、休日に限られているのです。
2021年度までは、4月から10月までと期間も限定されており、冬季の利用は制限されていました。

また、音出しに関しても土曜日であれば15時以降、日曜日や休日は12時以降という制限も設けられているのです。

現在建て替えを予定していますが、建て替えによって客席前方まで屋根を広げ、開放的な雰囲気を保ちつつ音漏れについては制限する予定となっています。
使用するためには著名人でも予定日の1年前に行われる抽選に参加して、公平に決められるようになっているのです。

2006年からは日比谷公会堂とともに東京都の指定管理者が管理しており、2023年には100周年記念事業が行われることとなりました。
1905年に完成した小音楽堂は、日本初の野外音楽堂でかつては軍楽隊による演奏が行われたこともあったのです。

1923年9月の関東大震災で倒壊してしまい、当時の映像では避難者や洗濯物が干されている様子などが見られ、後日再築されました。
客席数は1,000席で、最大の特徴は小音楽堂で行われる催事が全て無料であるという点です。

開催されるのは一般に開放する無料コンサートに限ると、小音楽堂の利用条件にも定められています。
無料で行われるコンサートとなるため、警視庁音楽隊や東京消防庁音楽隊、海上保安庁音楽隊などが演奏しているのです。

日比谷野音で行われたコンサート

日比谷野音では、戦前から演奏会が行われていたのですが、初めて音響拡声装置を使用した本格的なライブが行われたのは1969年の10円コンサートになります。

ギタリストの成毛茂が開催したニューロック・ジャム・コンサートのことで、アメリカのウッドストック・フェスティバルに感化されたコンサートです。

名前の通り入場料は10円と非常に破格で、当時にしては珍しく事務所やレコード会社の垣根を超えてアーティストが集うライブとなっていたのです。
野外フェスの先駆けで、ロックバンドのコンサート会場として日比谷野音が根付くきっかけにもなった重要なライブといえます。

1972年にはフォーク歌手が集まってフォーク・イン・サマーが開催されてフォークの殿堂とも呼ばれたのですが、さらに注目されたのは1975年のことでした。
日本のロックバンドであるキャロルの解散コンサートが日比谷野音で行われたのですが、ラストの歌を歌った直後に炎上騒動が起こったのです。

演出のための爆竹が舞台を形作る発泡スチロールに引火して、天井に達するほどの高い炎が上がりました。

2年後には、当時人気絶頂だったキャンディーズのコンサートも開催され、突然の解散宣言を行ったことでも有名です。
涙の解散宣言となったのは当時の人気を示すものですが、同時に日比谷野音が他のコンサート会場と比べて観客との距離が近いため、一体化しやすかったという見解もあります。

また、1983年の大規模改修の翌年には尾崎豊のコンサートが行われ、ライブ中にステージから尾崎豊が飛び降りて骨折するという事件も起こったのです。
飛び降りたのは7mの高さがある照明器具の上からで、骨折後も這いつくばりながら歌い続けたことで伝説となりました。

1985年にはJAPAN HEAVY METAL FESTIVALが開催され、1987年には当時人気絶頂だったLAUGHIN’ NOSEのライブも行われたのです。
LAUGHIN’ NOSEのライブ中、ステージに詰めかけたファンが将棋倒しとなったことで日比谷野音の歴史上初となる死傷者が出る事態となりました。

事故が起こったことで警備体制が厳しくなり、演奏中は観客が移動するのを禁止するというルールの制定につながったのです。
LAUGHIN’ NOSEは責任からしばらく活動を停止していましたが、ファンの声援を受けて活動を再開しました。

1987年にはSHOW-YAの提唱により、女性ミュージシャンのみによるフェスNAONのYAONも開催されたのです。

エレファントカシマシは1990年からほぼ絶え間なくライブを続けており、一定のキャリアを経たバンドも日比谷野音でのライブを続けているところがあります。
近年も、2012年に星野源がライブを行い、2017年にはメジャーデビュー直後のSuchmosが勢いを決定づけているのです。

2019年にはアリーナを埋めたKing GnuやSaucy Dogなども日比谷野音のステージを踏んでいます。

メジャーなバンドだけではなく、今後活躍していくバンドなども日比谷野音でコンサートを行い、大きく羽ばたいていったのです。

まとめ

2023年に100周年を迎えた日比谷野外音楽堂は、東京23区内で初めての大型野外コンサート会場として戦争や関東大震災を乗り越え、今もなお多くの人に愛されています。
10円コンサートやキャロルの解散コンサートでの炎上、キャンディーズの突然の解散宣言、尾崎豊のパフォーマンスからの骨折など、多くの伝説も残っています。
2025年からの建て替え、再整備を終えたら、再び多くのコンサートが開催されるでしょう。