小麦の生産地といえばアメリカを思い浮かべる人が多いと思いますが、実は収穫量が多く倒れない現代の小麦のルーツは日本人が生み出したのです。
日本でも小麦は生産されているもののどうしても米のイメージがあるため、日本の発明と聞くと衝撃を受けるでしょう。
小麦が日本人の発明という歴史の裏側について、解説します。
農林10号が誕生するまで
現代の私たちの食生活に欠かせない小麦は、広大な農地を持つアメリカやカナダ、オーストラリアといった国々が世界をリードしているイメージが強いでしょう。
日本でも小麦は北海道や九州を中心として生産していますが、消費する小麦の約8割以上は海外からの輸入に頼っています。
しかし、現在アメリカをはじめ全世界で栽培されている商用小麦のほぼすべてには、日本の遺伝子が組み込まれているのです。
植物として小麦そのものは約1万年前に西アジア、現在のチグリス・ユーフラテス川流域で誕生した野生種が起源となっています。
人間がゼロから生み出した発明ではないのですが、劇的に収穫量を増やして人類を飢餓の恐怖から救った現代のモダン小麦は間違いなく日本人の発明といえるのです。
歴史的ドラマの中心は、昭和初期に日本の育種家が生み出したたった一握りの奇跡の種である小麦農林10号という小麦になります。
農林10号がなければアメリカは小麦大国になれず、世界の人口爆発を支えることも不可能でした。
19世紀から20世紀前半にかけて、人口が急激に増加する一方で農業の生産性が追いついていなかったため世界は深刻な食糧危機に直面していました。
当時、農学者たちは肥料をたくさん与えれば、小麦の収穫量も増えるはずだと考えていたのです。
しかし、当時の世界的な小麦は背丈が1メートルから1.5メートルほどと非常に高く、茎の細い品種が占めていました。
肥料として窒素をたくさん与えると小麦はさらに上へ上へと伸びていき、先端の実が大きく重くなると自らの重みに耐えきれなくなっていたのです。
重さでフラフラしているところに強い雨や風が吹くと、広い農場一面の小麦がバタバタとドミノ倒しのように倒れてしまう倒伏が起こりました。
一度倒れて地面に伏した小麦は、水分を吸って腐ってしまったり日光が当たらずに病気になったりするのです。
当時は機械での収穫も始まっていたため倒れた小麦は刈り取ることができず、肥料をやればやるほど全滅するという最悪のパラドックスに陥ってしまいました。
世界中の農学者はたくさん肥料をやっても絶対に倒れない頑丈で背の低い小麦を追い求めましたが、誰もその理想の品種を見つけることができずにいたのです。
世界中で多くの人が取り組んでいた難題を解決した人物は他でもない、日本の東北の地にいました。
富山県の貧しい農家に生まれ、農林省の普及員として品種改良に命を捧げた育種家の稲塚権次郎氏です。
昭和初期、岩手県の農事試験場に赴任していた稲塚は、山形県で栽培されていた達磨と呼ばれる日本の在来種であり伝統的な小麦に着目しました、
達磨は背が低く、茎が太くて骨太であり日本の高温多湿や強風にもじっと耐えるという特徴を持っていたのです。
稲塚権次郎は、達磨にアメリカ由来の病気に強い品種などを複雑に掛け合わせ、何千、何万という交配実験を繰り返しました。
そして1935年(昭和10年)、ついに現代まで続く伝説となる伝説の品種を完成させることに成功したのです。
小麦農林10号と呼ばれた小麦は、背丈が従来の半分ほどの50~60センチでありながら幹は信じられないほど太く頑丈という、常識を覆す姿をしていました。
どんなに肥料を与えても上へ伸びず、エネルギーはすべてギッシリ詰まったたくさんの粒に変えるという、世界初の能力を持っていたのです。
しかし農林10号は当時の日本では雨が多すぎる気候のせいで特定の病気にかかりやすく、国内では爆発的な普及に至ることはできません。
日本人の発明が真価を発揮することができたのは、皮肉にも第二次世界大戦後のアメリカの地でした。
アメリカに渡った農林10号
1945年に第二次世界大戦が終結し、日本はGHQの統治下におかれることとなったのですが、GHQのスタッフの中には各分野の優秀な科学者が含まれていました。
彼らは日本全国の優れた農業技術や植物の種子を調査し、本国アメリカへ送る任務を負っていたのです。
そしてアメリカの農学者は、農事試験場に眠っていた背が低くて絶対に倒れない農林10号がとんでもないお宝かもしれないと考えました。
たった一握りの農林10号の種が太平洋を渡ってアメリカへと運ばれたことが、以降のアメリカ農業や世界の食糧生産を根本から変える運命の引き金となったのです。
アメリカに渡った農林10号は現地でノーリン・テン(NORIN TEN)と呼ばれ、全米の農学者たちを驚愕させました。
アメリカの広大な農地で大量の肥料を投入しても、ビクともせずに従来の数倍の重い穂を実らせたからです。
アメリカの植物病理学者ノーマン・ボーローグ博士は、農林10号の遺伝子に魂を揺さぶられました。
ボーローグ博士は当時慢性的な大飢餓に苦しんでいたメキシコに赴任し、農林10号をベースに現地の気候に合わせた短稈多収性小麦を開発したのです。
結果は劇的で、メキシコではわずか数年で小麦の国内自給を達成したうえ小麦の輸出権国へと変貌しました。
インドやパキスタンは数年で餓死者が数万人になると予測されていましたが、新たな小麦が導入されると小麦の生産量は一気に数倍になって国家を消滅の危機から救ったのです。
農業技術の革新によって何億人もの人々を飢餓から救った一連の歴史的出来事は、世界史において緑の革命と呼ばれています。
圧倒的な功績によって、ノーマン・ボーローグ博士は1970年にノーベル平和賞を受賞することになったのです。
ボーローグ博士は受賞後の1981年に来日した際、高齢となった稲塚権次郎の生家をわざわざ訪れて彼の両手を強く握りしめました。
自身の研究は農林10号があったからこそで、ノーベル平和賞は自分だけではなく稲塚のものでもあると感謝の言葉を述べたのです。
現在の小麦のDNAを調べると、ほぼ例外なく稲塚権次郎が作った農林10号の半矮性遺伝子が入っています。
つまり、現代の流通している小麦は植物としてのベースこそ古代の海外産ですが、大量生産して世界を支える現在の形にしたのは100%日本人の頭脳と努力なのです。
しかし従来の小麦よりもグルテンの特性が異なるため、現代において小麦アレルギーやグルテン関連の健康課題が増加している一因であるとの研究もあります。
まとめ
小麦という植物は約1万年前の西アジアで発見されたものですが、現在流通している小麦のほとんどは日本人が品種改良した小麦農林10号をベースとしたものです。
従来の小麦は背が高く実が増えると倒れてしまったのですが、農林10号は背が低く茎が太いためどれだけ実がなっても倒れることはありません。
アメリカは現在世界一の小麦大国と呼ばれていますが、きっかけになったのは戦後に持ち込まれた日本の小麦なのです。


