自民党との連立与党として日本の政治を支えてきた公明党ですが、近年存続の危機がささやかれているのです。
公明党は宗教団体である創価学会を支持母体として結成されたのですが、近年は獲得議席も減少しつつあるのです。
公明党はなぜ存続の危機にあるのか、解説します。
公明党の現状
公明党は、創価学会という宗教団体が母体となっている政党であり、自民党との連立政権は20年以上にもわたって続いているのです。
創価学会の会員数は800万人以上といわれており、学会員は組織に強い一体感を持って日常の活動にも熱心に取り組んでいます。
学会員の知人がいる人であれば、選挙前には公明党に投票して欲しいという連絡をもらった経験がある人も多いでしょう。
知人への連絡は学会用語で「F取り」といい、友人への投票依頼という意味で使われています。
また、高齢な学会員に対しては期日前投票で候補者指名を覚えさせたうえ、投票所まで送迎する摂った活動もしているのです。
しかし、組織力には年々衰えが目立っており、2022年の参議院議員選挙では全国の比例票が618万票と、前年から100万票近く減少してしまいました。
当選者は、選挙区の公認候補7名全員と、比例区では6名が当選し、公示前から比較すると1議席減少して13議席を獲得、非改選との合計で27議席となったのです。
2023年4月の統一地方選挙では、公明党が再結成された1998年以降で最多となる12名の落選者を出すこととなりました。
特に目立ったのが練馬区議会議員選挙では前回と同様に11名の候補者を擁立したのですが、当落線上に7名の候補が並んでうち4名が落選となったのです。
2024年9月には、党代表の山口那津男氏が代表を退任し、15年ぶりに党代表が交代することとなりました。
同年10月の衆議院議員選挙では自公連立与党に対する逆風が直撃して、公明党は公示前から8議席を失って24議席の獲得に留まったのです。
新たに代表となった石井啓一氏も埼玉14区から立候補したのですが、2009年の衆議院議員選挙以来の代表が落選する事態となりました。
石井代表は大敗の責任を取って代表を辞任したのですが、2025年の東京都議会議員選挙、参議院議員選挙ではともに議席を減少させてしまったのです。
特に参議院議員選挙の比例代表苦戦の得票数は521万票とさらに100万票近く得票数を減らしており、得票数も初めて二桁を割り込んでしまいました。
学会員の変化に伴う選挙の変容
支持母体となっている創価学会の学会員の変化が、選挙の結果にも大きな変容を与えているのです。
学会員は2世、3世と家族全体で連綿と続くことが多いのですが、実は学会員である親の姿を見て育った子どもたちは学会員になるのを嫌がることも少なくありません。
現在、学会員の中心となっているのは団塊の世代といわれる人々ですが、一斉に退職を迎えたことで一気に弱体化することとなったのです。
なぜかといえば、創価学会の収入減は寄付と聖教新聞、全国展開している墓苑事業の3つとなっています。
聖教新聞の発行部数は公称550万部ですが、学会員旗部数購読が常態化しており、特に幹部はノルマを達成するために一人で何部も購読しているのです。
墓苑に関しても世間相場より安いとされており、購入ローンも用意して完売させることを目標としているのですが、すでに学会員のほとんどは購入済みとなっています。
そもそも墓苑は世帯ごとに購入するものであり、1人1つという用意の仕方はしないため、ほとんど売れなくなったのです。
母数が多いため、旧統一教会とは違って多数の学会員が破産に陥るように資金集めを強引に行うようなことはないのですが、疲弊感は漂っています。
公明党の収入の柱も公明新聞事業で、収入の半分以上を占めているのですが、近年は政党交付金が占める割合も増えているのです。
学会員の世帯数も公称より実態は少ないといわれており、すでに届け出のある住所に住んでいない幽霊会員も増えています。
また、本来であれば学会員は転居した際に転居先を届け出る必要があるのですが、届け出をしない人も増えているのです。
特に子どもが入学や就職のために実家を離れる場合は、親が連絡先を届け出ないケースも多くなっています。
芸能人の中にも創価学会の学会員は少なくないのですが、有名歌手なども引っ越し先を届けていないケースがあるのです。
そもそも、日蓮正宗の在家信徒団体だった創価学会が政治進出したのは戸田城聖第2代会長時代の1955年で、当初は現役の学会幹部の面々が政界に送り込まれていきました。
池田大作氏が第3代会長に就任した翌年は、公明党の前身となる公明政治連盟が結成されているのです。
初代委員長に就いたのは戦時中からの最古参幹部だった原島宏治氏で、露骨にも学会の理事長職と兼務していました。
当時、学会と党はどこからどう見ても一体で、掲げた政治目標は日蓮正宗の大御本尊を安置する施設を国費で賄う国立戒壇の建立でした。
最終的な目標としては、教えと政治を融合させる王仏冥合として公明党と創価学会との融合を目指していました。
しかし、1969年暮れに起こった言論出版妨害問題で方針転換を余儀なくされてしまったのです。
世間から批判を浴びた学会は前述2つの政治目標を撤回して、現役の学会幹部が議員を兼ねることもなくなりました。
以降、学会と党の一体性は水面下に潜ることとなり、1990年に勃発した宗門問題でさらに変質することとなったのです。
学会は日蓮正宗と決別して、大石寺登山など本来の信仰活動は激減することになりました。
代わりに選挙活動がますます比重を増していき、選挙には熱心だが政策に無関心とも揶揄される現場の学会員は、池田先生を守るためと票集めに日夜邁進していたのです。
やがては選挙活動自体が信仰活動となってしまい、学会本部がある信濃町にとって選挙は組織引き締めになり、議会での勢力確保は対外的な組織防衛戦略の要となりました。
活動家は年々減るのに学会は各地に会館を建て続けているのは、ゼネコン票を狙うためと見る向きもあるのです。
学会の選挙中心思想は行き着くところにまで行き着いた感が強く、目的と手段が逆転してしまっています。
しかし、後期高齢者となった団塊世代の退場は間近に迫っているため、組織が一気に崩れ落ちる可能性は否定することができないでしょう。
まとめ
公明党は得票数を選挙のたびに減らしており、かつては600万票割れが目前といわれていたのですが2025年には521万票と600万票を大幅に割り込むこととなりました。
支持母体となっている創価学会の学会員数も年々減少しつつあり、特に中心となっている団塊の世代は次々に第一線を退いているのです。
選挙活動が信仰活動となりつつある昨今、団塊の世代が退場してしまえば組織が一気に崩れ落ちてしまう可能性もあります。