2025年7月20日の参議院議員選挙では、自民党と公明党の連立与党で獲得した議席数は47議席に留まり、過半数割れとなってしまったのです。
自民党の議席数の減少も目立ちますが、さらに目立つのが14議席から8議席へと大きく減少し惨敗となった公明党です。
なぜ公明党は惨敗となったのか、解説します。
選挙の結果を踏まえた原因の究明
今回の参議院議員選挙では、議席数の半数である124議席に空席1を加えた125議席を争うものでした。
自民党と公明党の連立与党では、今回66議席が改選されることとなり、非改選議席が75議席を加えて最低でも過半数を超える50議席を確保することを目標としていました。
しかし、結果として獲得できたのは47議席、内訳としては自民党が39議席、公明党は8議席でした。
特に公明党は14議席から8議席に減少し、総議席数も21議席まで減少したため、惨敗といえる結果になりました。
特に、比例代表は選挙前が7議席、獲得数は4議席と大幅に下回ったのですが、特に気になるのは得票数です。
改選を迎えた2019年には650万票、非改選の2022年は610万票を獲得したのですが、今回の得票数は約513万票と過去の実績を大きく下回っています。
公明党の最大の特徴は、支持母体が創価学会という1つの団体であるという点が他と大きく異なる特徴です。
衆議院議員選挙の場合、公明党の候補が立候補する選挙区は10余りで自民党と被らないようにしています。
呼びかけも、選挙区には自民党の候補者を推薦して比例は公明党に投票するよう呼び掛けているため、比例得票数には自民党の支持票も含まれているでしょう。
しかし、参院選の比例はより正確に実勢を反映しているため、今回の得票数は支持者が頭を抱える結果といえます。
公明党の過去と現在
公明党は1960年代に結党されてからは基本的に野党でしたが、与党となったのは93年のことで当時はまだ自民党とは協力していませんでした。
翌年には自民党が日本社会党と新党さきがけとの政権を連立したことで、公明党は再び野党になりました。
非自民政党は新党結成に舵を切り、公明も一部を除いて合流することとなって勢いがあったため、自民党は反創価学会キャンペーンを張って揺さぶりをかけていました。
97年には新党も解党となって公明党は翌年再結党され、99年に自民党と歩み寄って自公連立政権が始まったのです。
公明党の支持母体は、1930年創設の創価教育学会を源流とした創価学会で、戦後に勢力を伸ばして1960年代から急成長を遂げています。
急成長のきっかけとなったのが3代会長の池田大作氏で、90年代には800万世帯が入信する日本最大の宗教団体となったのです。
池田会長は中小企業経営者が信者の中心だったときに若者や専業主婦を信者にして、方向性を大きく変えていきました。
公明党を結党したのは1964年で、1967年の総選挙では25議席を獲得しており党勢の拡大が信徒の自己実現につながるという現世利益があったのです。
しかし、公明党の在り方は憲法で禁止された政教一致であると批判されており、池田会長はなるべく政治と宗教を分離するよう奮闘していました。
しかし、学芸員は選挙を信仰心の発露として奮闘しており、一般国民も支持しづらい状態となっていたのです。
創価学会の信者数も1990年代の公称800万世帯から停滞しており、現在でも世帯数は827万世帯とされています。
公明党や創価学会の中核であった第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代も高齢化し、専業主婦も大きく数を減らすこととなったのです。
現在中心となっているのは信者の2世、3世であり、1世ほどの熱量は持たない人がほとんどであり活動に懸命さは少なくなっています。
また、少子化も進んで徐々に人数も自然と減少しつつあるため、今後ますます厳しくなっていくでしょう。
3代会長であった池田氏への尊敬の念は特に深く、名誉会長となってからも多くの会員に慕われていたのですが、2023円11月に95歳でお亡くなりになりました。
創価学会側でも、池田名誉会長の死後には備えており、2010年頃から公式の場に見えなくなってからは死去しても大きな支障がないようにしていたのです。
十分な準備と覚悟をしてきたため、特に変化も大きなものにはならないという楽観論もあったのですが、いざ亡くなるとやはり喪失感は大きいでしょう。
死去した後初めてとなる2024年の総選挙では、公明党が2012年以降議席を持っていた北海道と大阪、埼玉、愛知の議席を失ってしまいました。
また、得票数自体も600万票を下回ってしまい、今までの得票数から大幅に縮小されたのです。
特に、大阪は全滅となってしまったため、創価学会が常勝関西といわれていたことを知る人にとっては寂しい結果となってしまいました。
池田氏が会長に就任する前の1957年には、当時参議院大阪地方区の補欠選挙で大阪地検特捜部が池田氏らを公職選挙法違反で逮捕・起訴したのです。
しかし、結果は1審無罪で確定したため、大きな被害はなかったものの学会は一際当地での選挙へ力を入れてきました。
2025年の都議選でも、公明党は告示前の23議席から19議席へと後退する結果となったのです。
かつて宗教法人の所管は本部のある都道府県で、学会は東京都にあるので選挙には必ず勝ちたかったのですが、結果は残念なものとなりました。
特に、池田氏の生誕した大田区の選挙では公明党の現職2人が共倒れ落選となったのは印象的で、学会員に与えたショックも大きなものでした。
さらに都議選の結果もあり、池田氏が不在であることが多くの学会員の脳裏をよぎることになりました。
創価学会を大きくした立役者が死去したことで、高齢化した学会員は大きなショックを受けることとなり、今回の結果につながったのでしょう。
まとめ
2025年7月の参議院議員選挙において、公明党は一年前の都議選に続いて惨敗といえる結果になってしまいました。
公明党の支持母体である創価学会は、3代会長である池田氏によって大きくなってきたのですが、池田氏が死去したことで学会員の勢いが衰えたことは否めないでしょう。
かつて議席を確保していた地区で再び議席を取り戻すことができなければ、公明党は徐々に規模が縮小していく可能性もあります。